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1890年(明治23年)、新潟のここ上越市で、日本のワインとぶどうの父「川上善兵衛」は、岩の原葡萄園をひらきました。国産ワインの歴史に多くの足跡を残し、幾多のワインコンクールで受賞の栄誉に輝いてきた「岩の原ワイン」の始まりでした。
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| 和暦 | 西暦 | 事項 |
|---|---|---|
| 慶応4年 (明治元年) |
1868 | 3月10日頸城郡北方村(現上越市北方)の地主川上善兵衛の長男として生まれる幼名 芳太郎 |
| 明治8年 | 1875 | 父善兵衛死亡につき家督を相続し、六代目善兵衛となる。 |
| 15年 | 1882 | 高城村(現上越市)木村容斎の塾に入り、漢学を学ぶ。 短い期間であるが慶応義塾の門を叩く。 |
| 19年 | 1886 | 宮崎ヲコウと結婚。(ともに18歳) |
| 20年 | 1887 | 東京下谷の小沢善平氏に新しい葡萄の品種や接木の方法について教えを受ける。 山梨の土屋竜憲氏の下で葡萄栽培の初歩を学ぶ。 |
| 23年 | 1890 | 6月から7月の間、自宅の庭園をこわし果樹栽培の準備をする。「岩の原葡萄園」と名づける。 |
| 24年 | 1891 | 宅地内にはじめて九種類の洋種葡萄苗木127本を植栽。 |
| 25年 | 1892 | 前年植栽したパレスタインその他数種類の美果を収穫。 |
| 26年 | 1893 | 葡萄酒仮貯蔵所トンネル穴倉成る。 |
| 27年 | 1894 | 妻ヲコウと離婚。 |
| 28年 | 1895 | 第1号石蔵落成する。 第1号石蔵において40石余の葡萄酒を醸造する。本年初めて密閉醸造の装置を用いる。 |
| 30年 | 1897 | 『葡萄酒類説明目録』発行。(題字勝安芳) |
| 31年 | 1898 | 葡萄酒とブランデーに「菊水」登録。 第二号石蔵竣工。 |
| 32年 | 1899 | 『葡萄種類説明』『葡萄栽培書』発行 |
| 33年 | 1900 | 子爵平松時厚の次女達子と再婚。 高士村村長に就任。 |
| 34年 | 1901 | 『葡萄栽培提要』発行。 栽培葡萄の種類350種を超える。 |
| 35年 | 1902 | 皇太子殿下(のちの大正天皇)御一行岩の原葡萄園へ行啓。 「農家の光」(行啓記事)を知人に頒布。 |
| 36年 | 1903 | 第5回内国勧業博覧会に出品した葡萄苗木が一等賞を受ける。 葡萄酒の販売業を「日本葡萄酒株式会社」(社長富永孝太郎)に委託。 |
| 37年 | 1904 | 日露開戦により陸海軍衛生材料として「菊水」印葡萄酒を採用される。 |
| 41年 | 1908 | 『葡萄提要』発行。 |
| 42年 | 1909 | 『紀恩帖』発行。(題字小野湖山) 『葡萄業に関する卑見』を政府に提出。 |
| 44年 | 1911 | 生涯の友とした武田範之死亡。 |
| 45年 | 1912 | 『行啓回顧録』発行。 |
| 大正2年 | 1913 | 政府の依頼により、朝鮮・満州の葡萄栽培状況を視察。 |
| 3年 | 1914 | 『満鮮葡萄業視察報告書』発行。 |
| 11年 | 1922 | 恩田博士の斡旋により、興津清見寺の不二庵に入り著作生活を開始する。 メンデルの遺伝法を葡萄に応用して品種の改良を始める。(この研究は昭和18年まで続く) |
| 12年 | 1923 | 久邇宮御一族岩の原葡萄園へ御台臨。(御一行中良子女王殿下は香淳皇太后) |
| 昭和2年 | 1927 | マスカット・ベーリーA他優良品種生まれる。 |
| 7年 | 1932 | 『葡萄全書』(上編)発行。 |
| 8年 | 1933 | 『葡萄全書』(中・下編)発行。 |
| 9年 | 1934 | 「寿屋」(現サントリー梶jと共同出資で「株式会社寿葡萄園」を設立 (昭和11年に「株式会社岩の原葡萄園」と改称) |
| 12年 | 1937 | 達子夫人死亡。 |
| 15年 | 1940 | 論文『交配に依る葡萄品種の育成』発表。 |
| 16年 | 1941 | 日本農学会より論文『交配に依る葡萄品種の育成』に対し、最高位の「日本農学賞」が授与される(善兵衛73歳) |
| 19年 | 1944 | 急性肺炎が悪化し、中頚城郡高士村大字北方の自宅で76歳の生涯を終える。 |