特別なできごと特別なできごと

特別なできごと Vol.5 特別なできごと Vol.5

次の世代に、いま伝えておきたいこと

次の世代に、いま伝えておきたいこと

岩の原葡萄園でぶどう栽培に携わって35年。畑での日々を振り返りながら、自分の生き方や働き方を見つめ直し、次の世代へ言葉を繋いでいければと思います。

岩の原葡萄園 製造部 西山行男

朝、畑に行きたくて目が覚める。

朝、畑に行きたくて目が覚める。

毎年、梅雨が近づくと落ち着かなくなるんです。ぶどうは雨に弱いので、いつ病気が出やしないかとひやひやしながら畑を見回って、家に帰ってもぶどうの心配ばかり。ここでぶどうの栽培をはじめて35年になりますが、いつまで経っても慣れません。

栽培風景
栽培風景

夏にアルバイトをしたのがキッカケで、高校を出てすぐに岩の原葡萄園に来ました。ワインに興味はなかったけれど、とにかく農業が好きだったから。入社当時、仕事は「見て覚える」もので、ろくに教えても貰えなかったから、20代はただがむしゃらに働きました。そうやって一通り仕事を覚えたら、仕事が面白くなってきたんです。手間をかければぶどうが応えてくれ、毎朝、早く畑に行きたくて目が覚める。いつのまにか天候に敏感になり、先回りして次の作業を考えるようにもなりました。そうなるまでに10年、いや20年かかりましたね。

今は時代もやり方も変わり、若いスタッフには予め文書で作業内容を渡し、理解して貰ってから実際の作業に入ります。作業の標準化には必要なことですが、畑に出たらマニュアル通りにはいかないということを覚えておいて欲しい。そのとき自分の頭で考え、正しい判断が出来るかどうかは、経験も必要ですが、一番大事なのはぶどうに対して“愛情”が持てるかどうかなんです。どうしたらこれを教えられるのか、いまだに分かりません。

岩の原葡萄園、である理由。

岩の原葡萄園、である理由。

創業者の川上善兵衛先生は、この岩の原の地が栄え、住民が幸せに暮らせるようにとこの葡萄園を作りました。それを受け継いでいるわけですから、何よりも地元住民の皆さんに喜んでいただける仕事をするのが、私たちの使命なんだと思っています。

岩の原葡萄園は、畑のある場所が民家と隣接しているので、例えば農薬ひとつとっても、やたらに撒いてはいけません。予め有線放送で農薬撒布時刻をお知らせするとともに、近隣の家々には一軒ずつ頭を下げて回ります。

作業風景
作業風景

「そんなことまでしなくても」と思っている人も、中にはいるかもしれませんが、そうやって顔の見える関係をつくることで自分の気持ちも引き締まりますし、何より安心して貰えると信じています。

善兵衛先生が鍬一本で開墾したこの土地を守り、育てていくには、私たちの力だけではだめなのです。地元住民の皆さんの理解と協力があってこそ、岩の原葡萄園は成長し続けられる。ぶどう栽培の技術だけでなく、こうした地域との関係づくりの大切さを伝えることも、あとの世代に継承していきたいことのひとつです。

名もない人々とともに、歴史の一部になる。

名もない人々とともに、歴史の一部になる。

並べられた賞状
並べられた賞状

岩の原葡萄園を代表するぶどう品種、善兵衛先生が生み出したマスカット・ベーリーAで造ったワインがはじめてコンクールで金賞を受賞したのが2009年。善兵衛先生の功績であることはもちろんですが、その意志を引き継ぎ、コツコツと毎日ぶどうを見守り続けた人々がいたからこその快挙だと思っています。そして、自分もそんな人々とともに岩の原葡萄園の歴史の一部になれたようで、とてもうれしかったです。また、いくら良いぶどうが獲れても、醸造、瓶詰め、すべての過程でよい結果を出さないと、よいワインにはなりません。受賞は誰か一人の力ではなく、ワイン造りに関わった全員の力の結晶なのです。

ぶどうを育てることの難しさは、身をもって知っています。ましてや苗木から新しい品種を作るというのは、気の遠くなるような作業です。でも、そうやって生み出された品種でできたワインが90年後の今もこうして飲み継がれている。それは偉大なことです。だからこそ善兵衛先生が残した品種を大切にし、これからも勝負していきたいと思います。川上品種(マスカット・ベーリーA、ブラック・クイーン、ベーリー・アリカントA、ローズ・シオター、レッド・ミルレンニューム)のすべてで金賞を獲る、それが私の栽培家人生を賭けた目標です。

赤ワインが注がれたワイングラス
赤ワインが注がれたワイングラス

迷いもよろこびも、畑がすべてを包み込む。

迷いもよろこびも、畑がすべてを包み込む。

並べられた工具
並べられた工具

人と人が一緒に働いていると、ぶつかることもあります。うまくいかないことの方が多いくらいで、感情的になったこともあります。しかしその度に、一緒に働いている仲間や先輩方に助けられてきました。そして畑に出ると、ぶどうは何事もなかったようにいつも私を待っていてくれます。畑に来れば心が落ち着き、自分らしくいられる。私にとって畑は、世界一居心地のよい場所なのです。

定年を迎えるまで、あと6年になりました。残り少ない日々、私が力を入れてやるべきこと、それは人づくりに他なりません。岩の原葡萄園を守っていくための人材育成はもちろん、この地域で農業に関わりたい、ぶどう栽培をしたいという新規就農者の教育や研修も行っています。しかし私の栽培技術が多くのよいぶどう、よい日本ワインづくりのために活かされるような活動は、会社を去っても続けるつもりです。そうやって、一生畑に関わって生きていきたいと思っています。

岩の原葡萄園 製造部 西山行男
岩の原葡萄園 製造部 西山行男
バックナンバー
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> Vol.10 岩の原の毎日がつくり出す、岩の原の未来。

> Vol.9 そこに、岩の原葡萄園らしさはあるか

> Vol.8 善兵衛さんと、わたし

> Vol.7 ワインのために、グラスメーカーができること

> Vol.6 作陶45年。私の戦いと、岩の原葡萄園のこれから

> Vol.5 次の世代に、いま伝えておきたいこと

> Vol.4 善兵衛2014、それぞれの想いをのせて

> Vol.3 日本ワインの進化と真価(後編)

> Vol.2 日本ワインの進化と真価(前編)

> Vol.1 雪国のワインと、岩の原葡萄園に魅せられて